(注)表題にある「熊エプ」とは、かつて、友人の森本剛史君が発行していたメールマガジン「熊野エクスプレス」のことです。
「熊エプ紙上にみえる新宮弁拾い読み」と「ばちきりたいシリーズ」提案について

予定を変更して、熊エプ紙上に散見する新宮弁を、講座風にみていきたいと思います。周辺用語は次回にお送りします。悪しからずご了承下さい。

【解説】
「熊エプ」とは、かつて、友人の森本剛史君が発行していたメールマガジン「熊野エクスプレス」のこと。その「熊エプ」に掲載された投稿者の文章の中に見られる新宮弁について講師が取り上げています。

冒頭にナンですが、「やだ」と「わだ」については前回分析を試みたところ、編集長より、「ゆーたわだ」・「YUTA WADA」を語源として、「和田勇太」をペンネームにしたらどうやろという提案をもらいました。今、考えてます。「そうやだ」の「SO YADA」から「矢田 聡」いうのもどうやろかと、思案しているところです。

さて、新宮弁ウオッチャーとしては、熊エプ紙上に登場する熊野言葉に無関心ではいられません。心を揺さぶられた「記事」に、少しふれてみたいと思います。

1)「くろにえる」・(青木英輔さん)
私も「くろにえる」はユニークな標準語と思っていました。そうではないと知って、「そうやったんか」と新宮弁講師としては悲喜こもごも、複雑な思いでした。東京でこの言葉を使う機会はありませんでしたが、もしあれば「くろにえちゃってサー」とか言って、「??・・」に遭っていたかもしれません。そう思うと、ちょっと笑かす思いです。

新宮出身者の、東京での失敗談にこんな話があります。
映画館の切符売り場で、「あのー、ツンでますか?」と訊いたら、「はぁ?」と聞き返されたので、とっさに「いや、混んでますか」と身を翻し、事なきを得たそうです。
「“つんでいる”は標準語や思たぁた。オレ、知らなんだゲー」といっておりました。昭和45年(1970年)頃の話です。

2)「チチイレ」・(上野一夫さん)
これには衝撃で身体がグラグラ揺れました。素朴で単刀直入。熊野の何かを感じましたヨ。シンプルイズベストを再認識すると共に、「こんなんアリかよ」とも思いました。常識やぶりです。(「チチイレ」とは配達される牛乳瓶を入れる木箱のこと)

新宮弁講師としては、「『海の熊野』が持つ縄文的特性・おおらかさ」であると、わかったようなわからんような事を言って、したり顔をしておきたいと思います。あの辺のおいさん、おばさんの姿が目に浮かびそうです。いや、ビックリでした。

3)「ひしくるを三輪崎限定と思っていた」・(小芝繁さん)

ひと山越えたら新宮市という三輪崎でさえ、新宮に行くと使わなんだ言葉があったのかと、ある種の感動を覚えました。
私のウチは、新宮まで10も20も山を越えなあかん、いわゆるひとつの川丈筋。新宮の都会の人は、「奥」と総称して差別していました。「奥様」や「奥の院」は敬語風表現ですが、ただの「奥」は差別用語です。ハハッ。

尤も、「奥」の人も新宮に移り住むと、今まで住んでいた地元のことを、結構すました顔で「奥」と呼んでいましたから困ったものです。「奥」には、新宮では使わなんだ言葉がまだまだあります。海岸筋にも封印された言葉があったんかと勇気づけられて、これからも眠れる熊野語を発掘していきたいと思います。

4)「紀陽銀行とやり合った熊エプ新宮支局長」・(森本祐司さん)

紀陽銀行と丁々発止、渡り合った森本さんのやりとりに何かを感じました。そのクライマックスシーンをちょっと再現してみましょう。

森本さん  「紀陽さんとこの100%ミスですよね(とクールに標準語で迫る私)」
支店長   「まことに申し訳ありません」
森本さん  「紀陽さんにとってラッキーやったんは、私がその筋やなかったことやの (と新宮弁に切り替える)」

この場面に目が留まりました。新宮弁原理主義者の私としては、標準語には批判的であらねばならないかもしれませんが、世の中そんな単純なものではありません。理解できるものが大いにあります。

「21世紀に直面する新宮弁の現実的苦悩」とでも言いましょうか。このやりとりに、私は思い出した事があります。

「ばちきりたいシリーズ」

A)実は、私がUターンしていた2年間の川丈時代のときのこと。新宮社会保険事務所の横柄さとノラリクラリについカチンときて、新宮弁で押し通すべきところを、不覚にも九重弁と東京弁が交錯して言いまくったったことがあります。

関西人とやり合うときは東京弁で、東京人とケンカするときは大阪弁で・・・。つい、やってしまうんやだの・・・。ここに新宮弁の今日的苦悩とジレンマがあります。

その後、新宮社会保険事務所からつけられた勤務先の健康保険証の記号・番号は、「東くそ」というものでした。「東」は東牟婁郡の「東」。「く」は熊野川町の「く」か?。「そ」はさて何でしょう。行く先々の病院で窓口をうならせたのは言うまでもありません。(その後、さすがに変更されたようです)

28才の鈍感な私は「そういうものか」くらいにしか思ってませんでしたが、あれは所長の意趣返しに違いないと、その後思いなおしました。記号・番号を変更したのが状況証拠でしょう。「ばちきったたらよかった」と思った次第です。(紀南の人ではなかった気が・・・)

B)もひとつ、新宮弁講座からますます離れますが、東京での大学受験のときのこと。

行きは寝台夜行列車「那智号」(当時)。帰りはワケありの名古屋乗りかえ。(前置きが長くなりますが聞いて下さい)
座席指定なるモノがあることを知らなかったうとすけは、夕刻品川駅に行って・・。
私  「新宮まで切符ください」
係員 「那智号は満席ですが、座席指定券はお持ちですか」
私  「エッ、持ってないけど・・」
係員 「では、乗れません」
私  「ガーン!」

指定券なしでも乗り込む裏ワザがある事などその時は知らずに、必死になって時刻表をながめました。東京ー大阪間の夜行鈍行列車「銀河」を探し出し、11時ころまで駅ホームでひたすら「銀河」を待ちました。(笑わんといてぇよ)
喫茶店もパチンコも知らない少年の目の前を「那智」号が通り過ぎて行きます。この時ほどこの列車に飛び乗り、「脱北」ならぬ「脱東」、いや「脱京(?)」したいと思ったことはありませんでした。

酷寒の多摩川を渡り、名古屋に脱出したのは早朝6時。
団体旅行の東北のおばあさんがくれた、でっかいおにぎりはうまかったです。それと、品川駅で目にしたラッシュアワーの光景は異常なものでした。

(ここからです言いたいのは。少年にはさらなる落とし穴が・・!。)
国境警備員、いや人身ブローカー、いや某駅員に「紀勢線のホームはどこですか」と訪ねたら、何と、「紀勢線の始発駅は亀山で、名古屋駅には紀勢線の乗り場はにゃー(ない)。亀山までは関西線。紀勢線は亀山から出とるでにゃーミャー」とのたまうではありませんか。本当のことですが悪質極まる物言いです。もう、悪いヤツばっかりや。

疑問に思いながら関西線各駅停車で亀山まで行って、さて始発電車はと待ってたら、名古屋駅から準急「?号」がやはりやって来て、やっと新宮に亡命成功したことがありました。

角刈りでラッパズボンの新高3年生をハメた、悪名高き国鉄名古屋駅(当時)のこの職員と、新宮社会保険事務所の所長は、私が「ばちまわして」やりたい二人です。

和賀さんー森本さんにつられて、永い封印をといてつい喋ってしまいました。どなたか一言いいたい方は、「ばちきりたいシリーズ」ということでいかがでしょうか。つないで下さい。

今回はなんど興奮してしまいました。頭を冷やして講座はまた次回ということで、皆さんすみませんがご勘弁を・・・。

講師:城C坊