私たちが、小さい頃から何の疑問も持たずに使ってきた「新宮弁」。成長して都会に出ていった皆さんは、その土地で使われている言葉と故郷・新宮の言葉との違いについてどのように思われたでしょうか?そして、その後、故郷の旧友に会ったり、帰省したときなどにふとついて出る新宮弁。あなたは新宮弁をどう思いますか?

万人が認める新宮弁の達人にして新宮弁研究の第一人者・城かず坊先生が、新宮弁の深淵に迫ります。それでは、よろしくお願いいたします。

 

■ [ばたくる] 暴れるの意。じっとしてないこと。抵抗する様子。(熊辞苑)

英語ばかりが言語やない。東京弁ばかりが言葉やない。南紀は方言の宝庫。新宮の人も知らない新宮弁。第1回目はこれです。

意味を解説すると、例えば、モドリにうなぎがどっさり入っている時、あるいはハイビンにハイコンベがワンサカの時、またはぼっつりに鮎が大漁の時、(皆さん、ちゃんと解読できてますか? 熊野の豊かな言葉が飛び交いますが、しっかり理解して下さいね)、で、それを引き上げると、それはそれはよく暴れます。この時の表現は「ばたくる」でなくてはなりません。

命の迫力、まわりの空気感、残酷なまでのサバイバルな雰囲気がストレートに、我がらの胸に伝わってくるではありませんか。熊野の人はこんな時「鮎や、ばたくりやるわ」とか「ばたくりやるわだあ」とか表現します。

また、メジロのオスとメスを近づける時、オスの鳥かごを布で覆います。なぜなら「バタくるさか」です。(これは作り話のおそれあり。でも本当ならカワイイですね)

悪あがきや、わがままな抵抗をする様も熊野では「なんど、ばたくりやるで」と言い、冷たく突き放します。このセリフが大人から発せられると、何か1人でバカをやっているような気になって、子供心にぐずるのをやめたものです。これが「暴れている」とか「騒いでいる」とか言われると、もっと逆上したかもしれんません。奥深いものがありますね。

永田町あたりで暴れる人が結構いますが、マスコミもこれからは「バタくる」を使えば、日本の政治もよくなるかも。「宗男がばたくりやる」なんての・・・。

「新宮ネット」読者の皆さんも何かの時に、ばたくったりしませぬように・・・。

次回は「ひしくる」です。
講師:城C坊